反東條の政治結社一派が貼った「英機撃滅」のビラには内務省が慌てた
大日本言論報国会のように、官僚が主導権を握って国民生活を戦時下体制に組み込んでいくことが、戦況の悪化とともに激しくなった。このことは生活の細部にまで国の意思を貫徹させようとする官僚の悪癖であり、なんらかの実績を積もうとする焦りでもあった。
その一例が昭和18(1943)…
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