近衛文麿は「観念右翼一派」と「親軍派」の動きに脅威を感じた
ナチスがポーランドに入って第2次世界大戦が始まり、日本はその電撃的な攻撃に酔いしれた。軍部や国民の中からもヒトラーに呼応しろという声が高まり、アメリカやイギリスに強い態度で交渉せよと叫ぶようになった。駐日大使のグルーの日記(昭和15年7月2日)には、「軍部は居丈高に、政府はそれ…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り831文字/全文971文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】