近衛文麿と共に冷静な分析の声がかき消された時代
近衛文麿内閣の動きを見るときに、私たちはその心情の細部にわたって検証することを怠ってきた。理由はいくつもある。ひとつは近衛自身が昭和20(1945)年12月に自殺して、一切の弁明を拒否する姿勢を貫いたこと。つまり歴史上では責任をすべて引き受けたと言うこともできた。たしかにそれは…
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