<第1回>逸ノ城と角界をつないだ「モンゴルルート」の深淵
日本からモンゴルに行った留学生が「スカウト活動」を行うケースもある。日本では一切報道されないモンゴル相撲の大会などの情報を伝えるだけでも十分だという。こうした学校ルートは他の高校や大学などにもある。元朝青龍が卒業した明徳義塾高校からは3人のモンゴル人力士が誕生している。
それ以外のルートとなると力士、親方個人の人脈だ。例えば横綱白鵬(29)はどうしても大相撲の力士になりたくて、当時幕内にいた旭鷲山のツテを頼って来日した。モンゴルに住む現地邦人の紹介などで入門させる親方もいる。
八角親方(元横綱北勝海)はかつて、こんな話をしていた。
「実は横綱の鶴竜(29)はウチに来るかもしれなかったんだよ。現地の知り合いが『親方のために見どころありそうなのを揃えたから、一度見に来てくれ』って連絡があった。でも、オレが行く前にその知り合いが『あまり数が多くても親方が困るだろう』って、勝手にセレクションをしちゃった。落選した中に当時の鶴竜がいたんだ」
鶴竜はその後、花籠部屋の選考会にも落選。角界入りを諦めきれず、大学教授の父の同僚に頼んで、決意の手紙を日本語に訳してもらった上で日本相撲振興会宛てに送った。井筒部屋に入門できたのは、その熱意が認められてのことだ。
それにしても、相撲向きで将来有望なモンゴル人力士。その「値段」も高いのではないか。
(つづく)