急逝した山田亮さんの思い出…悩んでいた広島訛りには「気にせんでええよ」とアドバイスしていた
先日、うっ血性心不全のため51歳で急逝した吉本新喜劇の山田亮君。1997年のオーディションで合格して座員になりました。私は1990年から2000年まで2カ月に1本のペースで脚本を書いていた時に、何度か出演してもらいました。
そんな中「どうしてもセリフが広島訛りになってしまうんです」と相談を受けたことがありました。広島生まれ、広島育ちの彼にとっては深刻な悩みだったのです。私は“お国訛りは武器”だと思っているので、「そんなん気にせんでええやんか、吉本が大阪弁がしゃべられへんのを承知でオーディションに合格させたんやから、訛りで責められるんなら吉本の方やと思うで。それと大阪人が一番嫌うのは“エセ大阪弁”やから無理してしゃべらん方がええし。広島弁のイントネーションがおもろかったら、周りが笑いに変えてくれるから気にせんでええよ」と答えていました。
NSCでも関西圏以外の生徒には「千鳥がええ例やから、面白かったら関係ないよ」と最初の授業で伝えています。
しばらくすると思った通り、辻本君がイントネーションをいじってくれて大きな笑いに変えてくれていました。