八代英太VS.畠山みどり 事故から15年要したドロ沼裁判
一方、被告となった畠山は自身に責任がないことを強調。記者会見に同席した弁護士は「畠山はタクシーの客の立場」とこう説明した。
「畠山さんの乗っているクルマが八代さんをひいたとする。これが畠山さんの自家用車ならともかく、タクシーが起こした事故なら、その客にすぎない畠山さんには責任はない」
責任はタクシーの立場に当たる会場側(刈谷市)にあるというのが畠山側の主張。では、なぜ、八代は畠山を被告に加えたのか。訴状には次のようにある。
〈刈谷市民会館事務局次長が八代の出演中にセリを下げるのは危険と注意したのに、畠山は八代はプロだから大丈夫といった。八代との十分な打ち合わせも怠っていた〉
八代がセリを使うことを知らされたのは当日会場に着いてから。しかも、モノマネの後半にセリが下げられると聞いていたのに、実際には1曲目から下げられていた。
裁判は長期に及んだ。双方の主張が食い違った上に、被告3者が責任のなすり合いをしたからだ。判決が出たのは85年10月。東京地裁は3者に7380万円の支払いを命じた。被告側は控訴。東京高裁は和解を勧告し、88年5月、刈谷市が7000万円、畠山が2500万円、子安興行社が500万円を八代に支払うことで決着した。事故から15年が経過していた。