八代英太VS.畠山みどり 事故から15年要したドロ沼裁判
<1975年8月>
8月6日午後6時、畠山みどり(当時36)の自宅で突如、記者会見が開かれた。畠山は「裁判で争うことになるなんて残念です」といって唇を噛んだ。5日前、畠山は八代英太(同38)から訴訟を起こされていた。
事件は2年前に起こった。73年6月3日、八代は愛知県刈谷市民会館で開かれていた畠山みどりショーに前座として出演した。畠山の衣装替えの間、八代は5人の有名歌手のモノマネをやることになっていた。ぴんからトリオの「女のみち」の伴奏が始まり、マイクから2、3歩下がった途端、八代の姿は舞台から消えた。セリを4.7メートルほど下げてあり、奈落にまっさかさまに落ちてしまったのだ。畠山は次の出番でそのセリに乗って舞台に登場する予定だった。
八代は胸椎骨折と脊髄損傷の重傷。下半身不随に。そして事故から2年が経過した8月1日、刈谷市、畠山、ショーを企画した子安興行社の3者を相手取り、1億4720万円の損害賠償請求訴訟を起こした。
2年待ってから裁判に踏み切ったのは体がどうなるかを見極めていたのと、刈谷市や畠山らから誠意ある対応がなかったというのが八代側の説明。74年3月、八代の代理人が畠山らに話し合いを求める内容証明を送ったが、応じる姿勢を見せず、裁判を起こすしか方法がなかったという。