重松清 中上健次に目かけられた早稲田四畳一間の下宿時代
1984年冬、早稲田大学に通うシゲマツ青年が、自身の下宿先にて卒業論文に追われる様子を撮った一枚。「作家・重松清」となる原点がそこにある。
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早稲田にあった4畳半一間の下宿。学生時代の4年間、ずうっとここでお世話になりました。1階に川俣サンという大家さんが住んでいて、住所も「川俣様方 重松清」。月1万5000円の家賃は当時でも破格で、大学から徒歩5分圏内という距離も魅力だったんだ。
ビンボーな学生時代。捨ててあったヒーターなしのこたつを拾ってきて、早送りでもしようものならテープ自体がもつれちゃう“何ちゃってウォークマン”でタクローを聴きながら、「わかば」をふかしてた。この写真のドテラは、大学1年の頃に付き合っていたコからもらったもの。そのコと別れることになっても、ドテラはそばに“居て”くれた。ただ、愛用して3年目を迎えたこの時には湿気っちゃって、それはもう重たかったね。この頃、取り組んでいた卒論のテーマは中原中也。母校(山口県立山口高校)の先輩で勝手にご縁があるなあと。まあ、デキの悪いやつは大概、中原中也か梶井基次郎を選んでいた。だって、全集の巻数が圧倒的に少ないんだから。間違っても、全42巻ある三島由紀夫は選ばない。しかも詩集だからすんなり読破できる。