重松清 中上健次に目かけられた早稲田四畳一間の下宿時代
「書き続ける意思」と題した卒論は、「群像」の新人文学賞評論部門に応募して、2次選考までいったんだよ。だから「俺、わりとできるじゃん」と思ったのは記憶にある。段落の合間に<そろそろ先を急ごう>とか、読み手を意識するフレーズを一丁前に挟んだりして。読み返すとオイオイって気恥ずかしくなるけれど、この頃からプロ意識のかけらみたいなものはあったのかな。おそらく。
■早稲田大学に入って、早稲田文学を卒業した
エラソーなことをいっても、当時はどこにでもいる中途半端なダメ学生だった。ガキの頃から作文だけは人より長けているっていう自負はある。なのに、なぜ、いまの俺はこんなに冴えないのか。そんなふうに将来の展望が見えず、何をしたいのかすら分からずに悶々としていたんだ。それが、たまたま学部の掲示板にあった「『早稲田文学』学生編集員募集」という一枚の貼り紙に気づいて、運命が、人生が、変わった。当時の早稲田文学は編集委員制度で、その中に中上健次さんもいて、本当にかわいがってもらったよ。いま思い起こせば、田舎者だったからかな。ポツポツと出始めたおしゃれなカフェバーなんか行かず、朝まで飲んでホワイトを2本ぐらい開けちゃってという大学生が好きだったんじゃないかな。試験の日も赤塚不二夫さんらが行きつけの寿司屋で朝まで飲んでて、「中上さん、ボク、これから試験なんです」と言ったら、上寿司の折り詰めを持たせてくれた。