「お話しできることはありません」明菜に感じた悲劇の影
六本木アマンド横の坂を下りたところのレンガ色のマンションと、通りを隔てたところのマンション。スープの冷めない距離を行き来しながら、二十歳で結婚し引退した百恵さんの姿を思い描いていたのが分かる。しかし、その夢は木っ端みじんに砕け散った。ワイドショー、スポーツ紙、そして雑誌と、芸能マスコミはこぞって明菜を追いかけた。路上でのカーチェイス、体を張り合い、撮った撮られたで揉めていた時代。
芸能人のスキャンダルは早朝からのTVの一番の人気で、権利とか名誉は二の次だ。この年の大晦日、夜10時から新高輪プリンスホテルで近藤と会見した明菜の、場違いな金屏風を背にした戸惑いの表情にカメラのフラッシュが激しく明滅していた。バブル絶頂の享楽ムードと正反対の、そこだけ時が止まったような孤独があった。
■麻布十番のスナックで「カナダからの手紙」をデュエット
♪たかが恋なんて、忘れればいい~
シングル「難破船」は低音でそう歌いだし、泣きたいだけ泣いたらと続く。そういう気概で本人もいたのだろう。数年後、完全復活へ向けて、ひとりレッスンする場面を見た。焼き肉で飲んだ後、噂で聞いた麻布十番のカラオケスナックの扉を開けると、レーザーディスクの並ぶ店内に明菜はいた。グラスには洋酒のロックが揺れていた。