<下>昭和と平成を生き抜き語る「令和とは“冷めた時代”」
平成は自身にとって“キャラ勝ち”の時代だったとか。
「デビューしたころは童顔だから冷ややかに歌うよう指示されていたので、笑わない、しゃべらない、動かない、の『3ナイ歌手』っていわれていました。当時は楽屋でもボーッと亡霊のよう(笑い)。それが、コロッケがモノマネしてくれて『タンスにゴン』のCMに起用され、紅白にも呼んでいただけて。デビュー後7年連続出場し、逮捕の空白期間を経て、キャラクターで呼んでいただけただけでも儲けもの。それが当時を超える19回も出演できて、キャラクターでトクをしましたね」
どん底から這い上がる原動力には“おしゃれ”があった。
「“落ち目の美川”っていわれてるときでも、とにかく離れていったファンにもう一度戻ってもらうために一流の服を着ることだけは譲りませんでした。昔、越路吹雪さんや淡谷のり子さんに『スターは貧乏くさくなっちゃダメ。ファンの方は鋭い目を持ってる』って言われていましたから」
越路吹雪ともおしゃれが縁に。
「昭和40年代にルイ・ヴィトンのトランクを壊して、モノグラムの靴を作ったんです。越路さんは最初は『もったいない』と怒ったけど、トランクのもう片面で靴が作れると言ったら喜んで『すぐ採寸して!』と。それで越路さんに靴をプレゼントしたんです。その靴には『美川くんから』と書かれ、大切に保管されていたそうで、亡くなられた時に形見分けにいただきました。おしゃれは交遊を深める助けにもなっていますね。また小林幸子さんとの“NHK紅白・衣装対決”にもつながり、回り回って身を助けてくれています」