車内販売のバイトが転機 鉄道タレント木村裕子の極貧時代
だから列車内に「自分の店」を持ったようなもので、自営業みたいな働き方も自分に合ってた。バイト代はどれだけ売っても変わらず、時給900円くらいでしたけど、早朝手当や深夜手当がつくので月に20万円近くにはなった。
早朝の列車が多かったので、通勤の常連さんができて、仲良くしてもらってました。出張帰りにお土産買ってきてくれる人もいたし、長野で2時間休憩になった時はご飯に連れてってくれた人もいました。みなさん、お父さん世代ですけど、可愛がってもらってましたよ。
常連さんに「女の子で鉄道好きって珍しいね」と言われ、「そうか、珍しいのか!」と初めて気づき、もう一度、芸能界を目指して上京する時、事務所を受けるための履歴書に「鉄道オタクです」と書いたんです。それで事務所に入ったら「君はオッパイがないから水着にならなくていい」と言われ、車掌の制服みたいな衣装を手作りしてトレードマークにしました。それがもう15年くらい前かな。東京でもいろいろバイトしました。
今入った事務所で6つ目。アイドルは卒業して今は鉄旅タレントとして頑張ってますので、よろしくです!