萩本の両親から「せがれを使ってやってもらえないか」と…
「だけど池さんは欽坊を『辞めさせないでくれ』って直談判したんだって。将来性を感じたんだろうね。それで彼も諦めなかった。どの仕事でも周囲も本人も“才能”に気付かないことがある。それよりも、やる気だったり、継続することが大事だったりするんだと思うよ。確かに欽坊は、あまり芸が達者じゃなかったけど、辞めなかったから今があるんですよ」
萩本が売れたのは、優秀な相方と出会ったことも大きかった。「浅草フランス座」のコメディアンとして幕間コントで共演し、のちにお笑いコンビ「コント55号」を組んだ坂上二郎だ。
松倉さんも「あいつが芸達者だったから、コンビが成り立った」と振り返る。
(この項つづく)
▽松倉久幸(まつくら・ひさゆき)1935年、長野県生まれ。中央大学卒業。68年、東洋興業社長に就任。「浅草演芸ホール・東洋館(旧『浅草フランス座』)」を率いる。2018年、「江戸まち たいとう芸楽祭」実行委員会顧問に。新著に「起きたことは笑うしかない! 」(朝日新書)がある。