大月みやこさん 落第生と気づかされた「女の港」の出合い
今日も気持ちよく歌えたし、いい曲だなと思えるだけで十分……。そんな私が変わったのが今のスタッフと「女の港」との出合いです。そこまで20年かかりましたね。
スタッフが言うわけです。「僕たちが大月みやこを一生懸命つくっているのに自分だけいい気持ちになっていたらダメ。曲を聴く人に届けてくれないと困る」。上がってきた「女の港」は星野哲郎作詞、船村徹作曲。レコーディングで初めてお目にかかったら、おふたりとも「もっと聴く人に届くように歌ってほしい」とスタッフと同じことをおっしゃる。プロフェッショナルとしては10人聴いてくれたら7人に感動を届けないといけない。そう思いました。ああ、私はそんなこともわからず、落第生だったんだわとちょっと悩みました。遅かりし、ですよね。
ショックだったのは体調がよくて、いい気分で最高にいい声が出たかなと思った時に「今日、調子悪い?」と真逆のことを言われた時ですね。それで「女の港」を境にそれまでとは歌の作り方を変えました。わからないようにナチュラルに。
私は音楽賞にも縁がなかったんですよ。「女の港」は83年発売。スタッフが「この曲は絶対にアピールする」という自信があって、発売後1年8カ月は新曲を用意しなかった。30万枚のヒットになって紅白に出場したのが86年。発売から1年以上すぎていたので、レコ大の資格はありませんでした。