ガースー政府は野宿者救済策を正月休み返上で算段してみろ
我らの「無頼」の公開が始まった。新宿も池袋も劇場さんはコロナ対策で大変だけど、何の反動でか知らないが、お客さんの入りはすこぶる良くて、大好評だ。多分、皆さん、憂さ晴らしに足を運んでいただいているのだろう。改めて感謝します。映画は興行してなんぼだから、ありがたいことだ。
今週からは九州の福岡、熊本、大分でも公開されるので、また舞台挨拶の行脚に出るところだ。どうぞ、待っててやって下さい。何十回も言ってきたが、映画はテレビやパソコンで見るものじゃないし、映画館でがっつりと味わって欲しい。テレビ画面じゃ判別つかないことだらけだ。主人公の親分が着ている昭和のヤクザ者らしい「柄シャツ」の生地感とか、あるいは指詰めした後の手の感じ(あくまでCG処理)とか、そんなことも伝えられるのは、スクリーンだからだ。
初めて映画らしきものを見たのは、小学5年の時の「陸軍残虐物語」だった。東映の若手社員監督だった佐藤純彌のデビュー作で、名優・三国連太郎が愚鈍で役立たずの陸軍二等兵役で主演し、西村晃が軍紀に厳しい内務班の“人間の顔をした鬼”の軍曹を熱演した。鬼軍曹は物語が終焉する直前まで、三国二等兵にビンタを浴びせまくり、三国に面会に来た実家の嫁さんまで強姦し、激怒した三国に大便所の板枠に首を突っ込まされて殺されたのだ。三国が同輩の中村賀津雄と一緒に、糞尿だめに潜って掃除をさせられる場面も圧巻だった。カメラが糞尿面すれすれのところから撮られた画面は臭いまで伝わってくる気がして、鼻を押さえたのを覚えている。陸軍の非道を問う大問題作だったが、11歳の少年はスクリーンの凄まじさにクギ付けになったまま、逆に世の中の他のすべてのことが愛おしく思える二度とない映画体験だった。後年、テレビで水戸黄門役になる前の西村晃さんをキャスティングして現場でその残虐話をすると、特攻隊の生き残りらしく、小生に「見てくれてたんだ。ありがとう」と敬礼されたのが、懐かしい限りだ。