著者のコラム一覧
井筒和幸映画監督

1952年12月13日、奈良県出身。県立奈良高校在学中から映画製作を始める。75年にピンク映画で監督デビューを果たし、「岸和田少年愚連隊」(96年)と「パッチギ!」(04年)では「ブルーリボン最優秀作品賞」を受賞。歯に衣着せぬ物言いがバラエティ番組でも人気を博し、現在は週刊誌やラジオでご意見番としても活躍中。

年の瀬に思う…深作欣二監督のヤクザ映画に出会ったこと

公開日: 更新日:

 毎年、年の瀬になると必ず、わが青春の映画、「ゴッドファーザー」「仁義なき戦い」を思い出す。1972年暮れ、ボクは二十歳になったばかり。大阪ミナミの宗右衛門町にあった舞台付きのグランドキャバレーのショータイムにスポット照明係のバイトをしながら、暇を持て余していた。夜10時から日替わりで、歌手の新曲キャンペーンや奇術ショーやストリップが1回15分間で30分後にもう1回あるだけで、バイト料は1500円ももらえたが(当時の喫茶店のウエーターの日給ぐらいか)とにかく退屈な日々で将来に何の見通しもなく、その日暮らしをするしかなかった。

 その年は3回もマフィア一家を描いた「ゴッドファーザー」を見て、映画という魔物にとり憑かれていた。ハリウッドの人気歌手に映画の主役につきたいと懇願されたドン・コルレオーネが、顧問弁護士トムに命じ、大物プロデューサーの邸宅に行かせ、そこの高価なタネ馬の首を切断し、大物のベッドの中に血まみれのまま放り込ませて脅迫する荒業を見せられ、しばらく他の映画なんか見る気も失せたままで、年末を迎えていた。その時、深夜テレビの映画紹介で何度も目にしたのが、正月明け封切りの「仁義なき戦い」というヤクザ映画のどぎつい予告編。菅原文太という斜に構えた侠客面の俳優をしっかり見るのも初めてだった。初詣に行く予定なんか何もなかったが、年が明けたらこの映画は見に行くと決めていた。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議

  2. 2

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  3. 3

    吉川ひなのだけじゃない! カネ、洗脳…芸能界“毒親”伝説

  4. 4

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  5. 5

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  1. 6

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 7

    木村拓哉"失言3連発"で「地上波から消滅」危機…スポンサーがヒヤヒヤする危なっかしい言動

  3. 8

    Rソックス3A上沢直之に巨人が食いつく…本人はメジャー挑戦続行を明言せず

  4. 9

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 10

    立花孝志氏『家から出てこいよ』演説にソックリと指摘…大阪市長時代の橋下徹氏「TM演説」の中身と顛末