デジタル合成技術はすべて偽物、人の目を騙しているだけだ
思えば、もう50年前からだ。ミニコミ誌、地方新聞や週刊誌に自分が生きてる証しとして、映画感想コラムを日課のように途絶えることなく書き続けてきた。何を見てどう感じたのかだけではない。その一本の映画をなぜ選び、それが自分の人生にどう左右したのか、どう心を奪われて、それが自分の思想や行動にどう影響したかを書き届けてきた。それは批評でも研究でもなく、映画体験史だった。
今年3月からは、我が「無頼」で取材を受けたことが縁で、「月刊神戸っ子・KOBECCO」という1961年創刊の老舗のタウン誌でも、映画コラムを書かせてもらっている。編集部さんが「監督がいつの時代にどんな映画を見てきたのか、池波正太郎風に書いてもらえたら幸いです。今、家でネット配信の時代だし、読者に作品紹介していただけたら」と。
自分の体験史が他人をどう刺激するか、池波正太郎と映画の好みは合わないだろうが、こっちの気の向くまま、しばらくつづらせてもらうつもりでいる(阪神地区に行った折にはどこかの店で、旅のお供にでもそのタウン誌を見つけてみて下さい)。