(7)「激突!殺人拳」が全米で大ヒット「サニー千葉」の名前が知れ渡った
1973年の暮れに一本のアクション映画が公開され、世界を席巻した。そう、ブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」だ。
こうしたブームにいち早く便乗するのが当時の東映だった。次々に空手映画を作り、私はそのほとんどに主演した。予想外だったのは私の一連の空手映画がアメリカでも当たったことである。
きっかけは「激突!殺人拳」だった。たまたまヤクザ映画の買い付けで来日していたニュー・ライン・シネマのスタッフがこの映画に感動し、すっかり心変わりしてしまったのだ。
「千葉のアクションはホンモノだ。ブルース・リーの映画より素晴らしい。アメリカで当たるとしたら、ヤクザ映画より、間違いなくこっちだ」
ニュー・ライン・シネマはすぐに「激突!殺人拳」のアメリカでの権利を買い取って、「THE STREET FIGHTER」のタイトルで公開することを決めた。同時に、私の英名は「Sonny Chiba(サニー千葉)」となった。
ニュー・ライン・シネマの思惑通り、映画は大当たり。「エアポート'75」や「オデッサ・ファイル」「星の王子さま」などの大作を抑え、3週間で興行成績はベスト5に躍り出たのである。「サニー千葉」の名前も全米で知れ渡ることになった。