湯山玲子さんが語る 母親がつくってくれたボルシチ、家族の食への好奇心
湯山玲子さん(著述家、プロデューサー/61歳)
エッセイストでテレビのコメンテーターとして活躍する著述家の湯山玲子さんのおふくろメシはボルシチ。もともとは今、ロシアに侵攻され戦っているウクライナの料理だ。高度経済成長期に東京で育った母親も、150版以上の重版を重ねるピアノ曲集「お菓子の世界」や「あめふりくまのこ」などの童謡を生んだ作曲家の父、湯山昭さんも、食に関しては流行の先端を求めたという。
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私が子供の頃の1960年代はまだ洋食が一般的ではありませんでした。でも高度成長期の東京でしたから主婦たちはそれまでの田舎の家庭料理という伝統を断ち切って、新しい食文化に挑んでいたと思います。母親は新聞や「暮しの手帖」などのレシピを見て洋食を作ってくれたんですよ。
母親の同級生の家がやっていた「ロゴスキー」という渋谷のロシア料理店に家族でよく行っていました。そこのボルシチを食べていたから、母親はインスパイアされたんでしょうね。
とはいっても、タマネギみたいな形をした色付き大根というかビーツは手に入らないし、今思えば、ボルシチという名のトマトスープなんですよね(笑い)。
最初はトマトケチャップに、トマトを混ぜてボルシチみたいな色にしていたんです。途中からトマトピューレになりましたが、GHQのPX流れみたいな輸入食料品店で買ってましたね。
具材はまずお肉が牛、豚、鶏といろいろ試して最終的には「豚バラに限る」と母親が言ってました。野菜はジャガイモが煮込んでも崩れないメークイン。ほかにタマネギ、ニンジン、彩りにピーマン。要するに冷蔵庫の野菜在庫一掃セールです。
セロリは輪切りにすると「U」の字になるので「カッコいい」と自画自賛してました。肉と野菜のごった煮という感じ。トマトピューレを味噌にしてダシを替えれば豚汁ですね。
調理はすごく簡単。タマネギとベーコンみたいに長いままの豚バラを炒めて、野菜を入れて炒めマギーブイヨン、水を入れて煮込む。カレーの作り方ですよね。そう思えば、このボルシチはマギーブイヨンが買えるようになってからのレパートリーかも。味付けは塩コショーだけ。洋食の味付けにほかのものが入ってくるのは70年代後半じゃないですかね。それとグリーンピースが必ず入ってました。最後に缶詰の生クリームを線になるようにチョロッとかけてでき上がり。
豚バラを使ったウクライナ料理ボルシチ
ボルシチはよく食卓に出ましたね。母親はいわゆる「おふくろの味」という和食が上手ではなくて、祖母の方が得意でした。
祖母が煮しめとか作って出すから、たぶん母親は対抗してボルシチとか洋食を作っていた気がします。姑に対する宣戦布告ですかねえ。
だから、煮物とボルシチが並んでいたり、煮こごりと舌平目のムニエルが激突するという食卓でした(笑い)。家族は気にせず両方食べてましたよ。
マギーブイヨンとかもそうですけど、うちの家族は食に関して好奇心が強い。タバスコも早くから我が家にあり、父親はボルシチにかけていましたね。
70年の大阪万博に出かけた時、ブルガリア館で無糖のヨーグルトが出されて「すごいおいしい!」と家族全員、感動したんですよ。戻ってから母親の知人にヨーグルトのタネ菌で作ってる人がいて、もらってきて我が家でもブルガリアヨーグルトを試作してました。見事成功して私、学校で自慢しました。
我が家はアボカドやグレープフルーツ、オリーブ、ケッパーなんかの導入も早かった。新しい物好き夫婦ですよね。
ボルシチは私も大人になってからたまに作ります。ボルシチという名のトマトスープですが(笑い)。食に関して好奇心が強いのは両親のおかげです。
(聞き手=松野大介)
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▽湯山玲子(ゆやま・れいこ) 1960年7月、東京都出身。学習院大卒業後、90年代からフリー編集者になり、編集や著述、広告など幅広く携わり、2010年代からはコメンテーターとしても活動。