怒りはつねにそばにある 何に?社会や政治や日常の理不尽すべてに
自分のツイートに賛同が寄せられると素直にうれしい。心強くもある。だが誹謗中傷もまた頻繁に目にする。興味深いのは、賛同は実名らしきアカウントからも届くが、激しい誹謗はほぼ全て匿名という点。ぼくが与党を批判するときは、その傾向がとりわけ顕著だ。
アイコンに日の丸を掲げ愛国を謳う匿名者のいじらしさ。われらが宰相に対して無礼な輩をやり込めたい、ただし身内や職場には気づかれることなく。その葛藤や不安を思えば心からの同情を禁じ得ない。糾弾される立場としても「言うても匿名だしなぁ」と正直微妙。生来の鈍感力の高さも加わり、ダメージはつゆほどもないのである。
人身攻撃というのだろうか、論そのものではなくぼくの身の上をねっとり責めてくるのも「匿名の愛国者」の特徴だ。夏の参院選の時期に増殖したのは「生活に困ってない音楽人のくせに共産党候補を応援しやがって」。これはじつに味わい深かった。声に出して読みたい日本語、である。ボーッとして読むと、この投稿者こそ「リベラルのあるべき姿」を説く真のサヨクではと思ってしまう。まじめに読み解けば「相手に不足あり」と言われているわけで、微苦笑するしかないのだが。