「あなたに小説執筆をつよく勧めたのは藤田だから」小池真理子さんの言葉に胸が塞がりそうになる
作家の小池真理子さんのお招きを受けて、彼女が暮らす軽井沢を訪ねた。大切な目的があった。真理子さんの夫・藤田宜永さんのお骨との対面である。
藤田さんが肺腺がんで亡くなったのは、日本初の新型コロナウイルス感染者が確認されて2週間後の2020年1月30日。享年69。その後猛威を振るったコロナ禍のせいで、ご位牌に手を合わせることはずっと叶わずにきたが、ついに実現する運びとなったのだ。届いたメールの最後には「藤田ともども愉しみにしています」とあった。
藤田宜永はぼくに小説執筆を勧めた初めての作家だ。でも彼の本を読みだす前からぼくは小池真理子ファンだったし、先に会ったのも彼女。つまり藤田さんは憧れの男性であり、憧れの女性のハートを射止めた男性でもあった。
2002年、ある対談で親しくなったぼくたちは、それからいくつかの夜を一緒にくぐり抜け、そのたび眩暈するほど膨大な言葉を交わしあった。「生きることすべてが小説の具」と言いきる彼は、実際にぼくが案内したヒップホップクラブで想を得た小説『リミックス』を上梓した。初めて行った渋谷円山町のクラブで、彼が「スターになるのはあの子だね」と明言した女性ラッパーこそ、その2年後に「Story」でブレイクするAIちゃんだったっけ。
「いまは歌詞を書いているけど、松尾さんは小説を書きたい人だろう」。あるときから藤田さんはそう言うようになった。文芸を学びたくて入った大学で尊大な指導教員に幻滅して以来、作詞したり音楽の文章を書いたりはしても、小説はあくまで読むものと割りきってきたぼくに、彼は小説を書くことの愉悦と恍惚を熱く語った。
「音楽で名前が大きくなると書けなくなるよ」と警告もした。それが親切心からであることはわかるし、感謝の念もある。でも小説は音楽に優るとも受けとれる藤田さんの物言いに、当時30代のぼくは反発した。
五木寛之、なかにし礼、山口洋子、伊集院静……作詞家から小説家へと華麗に転身した先達がいるのは重々承知。だが自分は広い意味での〈物語〉が好きなのであり、それは歌を作ることで十分に満たされている。藤田さん、ぼくにとっちゃまず音楽が〈物語〉なんですよ、と。