「ゴダイゴ」リーダー・ミッキー吉野さんに自由を教えてくれたリトル・リチャードのロックンロール「Send Me Some Lovin'」
ピアノで一人ベンチャーズ
僕が13歳の時、ビートルズが来日しました。チケットを買うのにビートルズのファンクラブに入ったり、ちょうど「夢見るシャンソン人形」のフランス・ギャルのコンサートでもチケットを売るというので、サンケイホールまで行ったり……。
一方で、ほりまさゆきさんがエルビスっぽくてかっこいいとか、ささきいさおさんがロックンロールっぽくて僕には合ったし……。ビートルズ初期の「ロール・オーバー・ベートーヴェン」とか、ビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」なんかを聴きまくって、結局はロックンロールに行くという感じでしたね。何年後かにゴダイゴをやるようになるわけですが、そこが音楽の原点だと思います。
僕にとっては毎日が音楽です。友だちとバンドをやるようになり、その頃は例えば、ベンチャーズはキーボードがいないバンドだけど、僕はキーボードでリード&リズムギターをやって、一人ベンチャーズができるようになっていました。
「長い髪の少女」がヒットしたグループサウンズのザ・ゴールデン・カップスに入ったのは16歳の時です。ゴールデン・カップスは洋楽的なバンドです。ヒットしたのは日本語の曲ですが、リトル・リチャードの「ルシール」とか英語の曲もやっていました。そんな中で71年に僕は渡米し、バークリー音楽大学に入ることができました。
アメリカにはロックもカントリーもポップスもジャズもクラシックもなんでもありました。聴かないのは日本の音楽、中国やアジアの音楽だったですね。
バークリーは、ピアニストの秋吉敏子さんや渡辺貞夫さん、渡米する前に作った僕のアルバムの編曲をしてくれた佐藤允彦さんが通ったジャズの学校です。ロックだけじゃなく、いろんな分野の人と接することができた。それで気がついたのは、大切なのは自分のスタイル、自分のアーティスト像を持つこと。
そしてバークリーを出て日本に帰って来たのが74年。その当時の日本の音楽は井上陽水、吉田拓郎を中心としたフォーク、いわゆる小室等さんのフォーライフや、小椋佳さんらが全盛でした。その壁を崩すのは難しいなと思いましたね。