「内なる偏見に気づいたら是正しよう」を否定する人はそういないはずだが…
昨夏からラジオでよく流れている、ACジャパンのジェンダー平等キャンペーンCMをご存じだろうか(テレビ版もあるが、ぼくは放映を観たことがない)。
まず包丁で食材をトントン刻む音が流れ、「キッチンで夕食の支度をする人がいます」とナレーションが入る。黒板にチョークを走らせる音には「パイロットになる夢を発表する子どもがいます」。最後は「想像したのは男性の姿ですか? 女性の姿ですか? 無意識の偏見に気づくことから、はじめませんか」という問いかけで終わる。
これを初めて聞いたときのハッとする感覚、追いかけるように込みあげてきた羞恥心はいまだに忘れられない。なぜなら、頭に浮かんだ姿を嘘偽りなく言えば「夕食の支度をする人=女性」「パイロット=男性」だったから。そりゃもちろん、夕食を毎日作る男性がいることも、女性パイロットの存在も、知識としてはあるよ。でも行動や職業の主体者の性を不意に問われたら、自分がちっぽけな人生の経験だけを根拠に長年決めつけてきたものが、見事にあぶり出されてしまう。
夕食の支度をする父を見ることはついぞなかったし、ぼくがいまキッチンに立つのも稀。パイロットの知り合いは何人かいるが、女性はひとりもいないしなあ。取材等で社会的な話題を問われるたびに「何事にもしなやかに対応していきたいですね」なんてもっともらしく語っている自分も、その実態はカビ臭い先入観と偏見まみれのオジサンと言い当てられた感じ。恥ずかしかったな、あれは。