映画「ゴジラ-1.0」米アカデミー視覚効果賞受賞の“必然”、ハリウッドがたまげた日本の狙いと技術
恐怖を“体感”できるかどうかを基準に画面設計
こういう省エネでクオリティーの高い作品を作れる背景には、山崎監督が俳優たちのライブの芝居と、VFXに関する作業の両方を同じバランスで仕切れることが大きいが、狙いを明確にして映画作りに臨んでいるのが功を奏している。
「ゴジラ-1.0」で山崎監督が目指したのは、かつて自分が映像を手掛けた西武園ゆうえんちのアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦」のように、見る者がゴジラの恐怖を“体感”すること。間近に迫るゴジラの恐ろしさを表現するためにゴジラの身長も50メートルという、近年のゴジラではさほど大きくないサイズに設定されたし、VFX以外でも音響効果やゴジラに襲われて逃げる銀座の群衆のサイズ感まで、恐怖を“体感”できるかどうかを基準に画面設計がされている。
ゴジラが原爆や戦争のイメージを背負った恐怖の象徴とすれば、この映画の主人公・敷島浩一は徹底してゴジラを憎む存在に設定されていて、その存在としてのゴジラと人間のドラマをうまく(?)合わせることで、VFXのカット数を抑えたのが図に当たった。
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3」のように作品全体をVFXで表現した宇宙で彩るのではなく、“体感”するゴジラの恐怖に絞ってVFXを仕上げた「ゴジラ-1.0」のように、何を見せるかという確かな狙いがあれば、日本のVFX技術は世界レベルで勝負できることを証明したのだ。
また「ゴジラ-1.0」は、世界レベルで映画の製作や配給を行う東宝の系列会社「東宝グローバル」が、北米で自社配給を行った第1回作品。今後、日本製のゴジラ映画が世界配給を見据えた製作体制が作れれば、さらに製作予算も増すだろうし、VFXでやれることの幅も広がる可能性がある。そういう意味で今回の受賞は、日本映画の未来ということでも、大きな一歩になったと言えるのである。
(映画ライター・金澤誠)