真矢ミキさんの今 高学歴キャラに寄り過ぎて演技の迷子に…自分を箇条書きにして気がついたこと
震災後、宝塚花組トップとして立った舞台で愕然!
花組のトップになったのは30歳。前年にトップになれることがわかったけど、ギリギリまでトップになれるかどうかわからない世界です。内定をもらったのは新聞発表の直前。新聞を切り抜きながら、私でもトップになれるんだとしみじみ思ったのを覚えています。
ところが、阪神・淡路大震災が起きます。1995年の年明けから前のトップの先輩が45日間、最後の公演をやって、次から私がトップで公演をやることになっていました。震災は1月17日。地震でスプリンクラーが回って劇場は水浸しです。阪急グループのお膝元、阪急電車の痛ましい姿がテレビでも映し出されて、お客さんが来られる状況ではなくなりました。もちろん公演もなくなりました。
震災が落ち着いて大阪の別の場所で2日間だけ先輩のサヨナラ公演が行われ、宝塚が再開したのは10月5日。
舞台に立った時は愕然としましたね。それまで見ていた光景とは別物でした。お客さんがいないから見えるのは真っ赤な座席です。それまではバブルの延長でお客さんも入って、それはそれは毎日が忙しかった。私がトップになってこれが始まりか、こういう運命なのかなと思いました。
でも、すぐに思い直しました。それが私にとって大きなターニングポイントです。お客さんに入ってもらうにはどうすればいいか。これまで来てくださったファンの方だけでなく、宝塚にはファミリーランドとか観光、娯楽で来る人も多いから、そういう人にも幅広く見てもらおうと、いろいろ考えてみたんですね。
私が宝塚を初めて見た時に違和感があったのを思い出し、箇条書きにしてみました。中世の人でもないのにマントを翻すのはさすがにどうかなとか。男役の中でも身長が165センチの私にはマントを翻すのは似合わないかもしれないし。私が男女共学の公立に通った経験から、そういう若い女の子たちは宝塚は入りにくいのではないか。普通に男の子を好きって言ってるような若い女性も来てくれる新しいスタイルでやってみたらどうかとか。
今までのブルーの化粧はやめよう、当たり前なオンクルで濃淡がある感じがいい、衣装は小回りがきくスーツがいいかも……。とにかく一人でも多く、劇場に足を運んでもらえるように頑張りました。
お客さんに入ってもらいたいという思いは98年に宝塚を退団してからも変わっていません。