江藤あやさん<1>上京しシャブ山シャブ子で注目されるまで
無名の役者で、当時はもう20代後半。反対する声も多かった中、湯浅さんが推してくださったとのこと。ここから、本格的に役者をやりたいと強く思うようになっていきました。
舞台の稽古は厳しい中にも作品への愛があふれていて、その場に身を置ける幸せを毎日感じていました。
そして、舞台が終わった頃、湯浅さんに「文化の発信源は東京だ、本物を見たほうがいい」と言っていただき、名古屋を出ることにしたんです。
それまでは名古屋で舞台をやっていこうと思っていたので、新車も買ってしまっていたのですが、湯浅さんの言葉で一大決心をすることができました。東京に出て役者になろう、と。 =つづく
(取材・文=大西桃子)