ジャニーズ事務所のメディア支配…出発点はメリーによる弟ジャニーの「病」隠し
テレビ、出版、スポーツ紙は赤子の手をひねるがごとくだった。彼らは目の前でジャニー喜多川が少年たちに性加害をしていても、見て見ぬふりをしてきたに違いない。新聞は事件化しない限り書かないから放っておけばいい。
2回目の会見に欠席したジュリーが手紙を寄せ、井ノ原快彦が代読した。その中に、こうあった。
「ジャニーが裁判で負けた文春を訴えた裁判のとき(04年に性的虐待行為があったと高裁で確定=筆者注)もメリーから『ジャニーは無実だからこちらから裁判を起こした。もしも有罪なら私たちから騒ぎ立てるはずがない。本人も最後まで無実だと言い切っている。負けてしまったのは弁護士のせい』と聞かされておりました」
弟の病は娘にも話さない。メリーなら、そうしたかもしれない。弟を守るために鉄の鎧(よろい)を着て生きてきたメリーが、生涯で一番ホッとしたのは、弟のジャニーが亡くなった時(19年)ではなかったか。
朝日新聞が発行してきた週刊朝日(19年7月22日号)は表紙に「追悼ジャニーさん、ありがとう! YOU、やっちゃいなよ」と大書した。人間の評価は「棺(かん)を蓋(おお)いて事定まる」ならば、弟は日本一の名プロデューサーとして名が残る。そう思ったに違いない。