プレコフーズ 髙波幸夫社長(1)戸越銀座の鶏肉屋が「食品卸」になるまで
家業を「カッコ悪い」と渡米を決意
一度は大学に進学するものの、学生生活に魅力を感じることができず、3カ月で自主退学。アメリカでビジネスを学ぼうと、渡米を決意する。
「学校の友人に経営者や医師の子どもが多かったこともあって、子ども心に家業はカッコ悪いと感じていました。そのうえ、進路相談を機に父との折り合いも悪くなってしまった。一方で当時は雑誌などの影響でアメリカンカルチャーがはやっていて、本場の文化に触れながら、アメリカのビジネスを学びたいと思ったのです」
渡米にはお金が必要だ。髙波氏は資金を稼ぐために自宅学習用の教材を扱う会社に勤務。一日200軒もの一般家庭に飛び込み営業を行い、8カ月で160万円を貯めたという。父親に渡米することを告げたのは旅立つ3日前のことだった。
「父には『そんなアメリカへの行き方をするなら、もう帰る家はないと思え』と、勘当に近い状態のまま飛行機に乗りました」と髙波氏。しばらくはロサンゼルスに移住していた友人の親が経営するレストランで働いたという。
「しかし、それではレストランのことはわかっても、アメリカのビジネスは学べません。今度こそ大学に行く必要性を感じた私は、その頃ファッションに興味を持っていたこともあって、ファッション・マーチャンダイジングを学ぶためにカリフォルニア州のブルックス・カレッジに入学することにしたのです」 (つづく)
(ジャーナリスト・中川明紀)