稀代の大実業家・稲盛和夫氏はなぜ子供たちに「利他」の重要性を伝えたのか?
京セラと第二電電(現KDDI)を創業、経営破綻した日本航空(JAL)の会長として再建を主導し、「盛和塾」の塾長として経営者の育成にも注力した稲盛和夫さん(享年90歳、2022年8月逝去)。著書の累計が世界2800万部に及ぶ実績を残した稲盛さんですが、10代の頃はうまくいかないことも多かったそうです。
そんな稲盛さんが母校で在校生に向けて語ったのは、人間の中にある二つの心でした。生前、若い人たちに向けて語ったメッセージをまとめた新刊『「迷わない心」のつくり方』(サンマーク出版)よりお届けします。
◇ ◇ ◇
ではその「思い」が芽生えてくる人間の心というのはどうなっているのか、ということを考えてみたいと思います。
◼️利己的な心と利他的な心
私は人間の心は、二つのものから成り立っていると考えています。みなさんの心の中をのぞいてみると、実は二つの心が同居しているのです。
一つは、「自分だけよければいい」という欲望に満ちた利己的な心です。
人間は自分の生命を維持していくためには、食事をしなければなりません。寒さを防ぐ衣服も着なければなりませんし、雨風を防ぐ家にも住まなければなりません。そういう自分自身が生きていくのに必要な欲望を一般には本能といいますが、その本能をベースにした、「自分だけよければいい」という利己的な心を誰もが持っています。
もう一つは、「他の人たちを助けてあげたい」「みんなに親切にしてあげたい」という利他の心です。
この利他とは、「他を利する」と書きますが、そういう優しい心も、人間は心の中に誰しも持っています。
つまり、どの人の心の中にも、利己と利他の二つの心が同居し、存在しているわけです。そして、そのどちらの心が、自分の心の中で大きな割合を占めるのか、ということが大切になってきます。
例えば、「自分だけよければいい」「もっと贅沢をしたい」という欲望に根差した利己的な心が、非常に大きな割合を占めている人がいます。
一方、生きていくのに必要な最低限の利己的な心は持っているけれども、それよりも「友達やきょうだいと仲良くし、人に親切にし、みんなのために尽くしたい」という優しい思いやりに満ちた利他の心のほうが、大きな割合を占めている人もいます。
この同居し、せめぎ合う人間の二つの心ということで思い出すのが、ノーベル文学賞を受賞した、インドのタゴールという有名な詩人が書いた次のような詩です。読ませてもらいます。
私はただ一人、神さまのもとにやってきました
しかし、そこにはもう一人の私がいました
その暗闇にいる私は、一体誰なのでしょうか
私はこの人を避けようとして、脇道にそれますが、
彼から逃れることはできません
彼は大道を練り歩きながら、地面から砂塵をまき上げ、
私が慎ましやかにささやいたことを大声で復唱します
彼は私の中の卑小なる我、つまりエゴなのです
主よ、彼は恥を知りません
しかし、私自身は恥じ入ります
このような卑小なる私を伴って、
あなたの扉の前に来ることを
タゴールは、このような詩を書いています。彼はこの詩の中で、利他的な、優しい思いやりに満ちた心を持った自分と、薄汚く、意地悪で、すぐに怒ったりする、自分だけよければいいという強欲な心を持ったもう一人の自分とが同居しているということをうまく表現しています。
私自身は、できるだけ美しい心で生きたいと思っているのに、薄汚いもう一人の私が自分から離れようとせず、どこまでもついてくる。これは同じ心の中に同居しているわけですから、離れていくわけがありません。そのことを神さまの前で恥じていると言っているのです。