戦争指導者は軍需に特化する予算を組めば勝てると盲信した
![1944年6月、戦争の拡大で労働力が極端に不足し始めた太平洋戦争末期、「女子挺身(ていしん)隊」の若い女性が勤労奉仕で工場などへ大量動員された。米爆撃機B29による爆撃の標的とされる航空機製造の軍需工場へも駆り出された(C)共同通信社](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/277/519/d8e1fcd3b4d51d2fdb27087ef65c50f720200819123730461_262_262.jpg)
さらに続けるが、アメリカの戦略爆撃調査団報告書(その一部を訳した「日本戦争経済の崩壊」正木千冬訳)を読んでいくと、1941年度と42年度の日本の全生産量は比較的順調であった。40年度の国民総生産は398億円で、2年後の42年度には406億円とわずかに上昇している。この間に対米戦…
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