近衛文麿と共に冷静な分析の声がかき消された時代
![東京・荻窪の自宅「荻外荘(てきがいそう)」で自決、横たわる近衛文麿公=昭和20年12月16日(C)共同通信社](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/307/813/0753462d7f87496bf562822bed03404a20220705125608595_262_262.jpg)
近衛文麿内閣の動きを見るときに、私たちはその心情の細部にわたって検証することを怠ってきた。理由はいくつもある。ひとつは近衛自身が昭和20(1945)年12月に自殺して、一切の弁明を拒否する姿勢を貫いたこと。つまり歴史上では責任をすべて引き受けたと言うこともできた。たしかにそれは…
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