「腕が鳴る」桂望実氏
「腕が鳴る」桂望実氏
ペットボトルが入った段ボール箱や米の袋、新聞紙の束などで埋め尽くされた廊下は、1人通るのがやっとの状態。71歳のタカ子は、転ばないように歩を進めながらようやく玄関までたどり着き、訪ねてきた整理収納アドバイザーの中村真穂を出迎える。
「普段からYouTubeなどで整理収納アドバイザーの動画を見るのが好きなんです。最初からモデルルームのようにきれいなお宅を紹介するルームツアー動画もいいですが、一体どうしてこうなったと驚くほど散らかった家が、プロの技でどんどん片付いていく動画は、よりエンタメ性が高いんです。単なる清掃ではなく、人さまの家でモノの要不要の判断をサポートし、整頓していくという仕事もなかなか珍しく、いつか小説にしたいと思ってきました」
本書は5話からなる連作短編集。年齢も家族構成も片付かない部屋の状況もそれぞれ異なる家庭が、整理収納アドバイザーの真穂の手によって生まれ変わっていく様子が描かれていく。モノを整理する過程で依頼者たちの生きざまも浮き彫りになり、今まで気づいていなかった自分を知ることになる“人生の棚卸し小説”だ。
「多くの場合、部屋にモノがあふれて片付かない状況には理由があります。単に収納スペースが狭いなどの物理的要因ではなく、なぜそれほどまでに買ってしまったのか、なぜ捨てられないのかということです。そして、何を捨てるか、何を残すかを考えることは、自分の過去と未来を再編成する作業でもあると思うんです」
第1話「買い過ぎた家」のタカ子の家にモノがあふれ始めたのは、5年前に夫を亡くしてから。息子夫婦に“ひとり暮らしはもう無理だから老人ホームで暮らせ”と言われたことが悔しく、思い切ってプロの手を借りることにしたのだ。
しかし真穂はすぐには片付けに取り掛からず、夫との結婚生活について尋ねてくる。夫は物静かな一方、家庭のすべてをひとりで決め、タカ子は家計の管理すら任せてもらえなかった。夫亡き後初めて気兼ねなく金を使えるようになり、いつの間にかモノが増えてしまったことに気づいていく。
「家がモノであふれていて、奥さまにイライラしているという男性もいるかもしれません。しかし、“片付けろよ!”と怒ったところで片付くわけはないんです。なぜなら、そうなった理由があるから。どうしたら家が片付くのか、ぜひご夫婦で一緒に考えてみて欲しいですね。見過ごしてしまっていた家庭の課題に気づくことができるかもしれません」
片付けを進めるうちに、隠されていた夫の思いを知ることになるタカ子。そのほか、片付けの仕方で揉める夫妻に真穂が家庭内別居を提案する「物が消えるリビング」、孤独な中年男性が真穂との片付けを通して人との関わりを見つめ直す「段ボール箱だらけのアパート」など、思わず感情移入してしまう登場人物の姿に、ふと自分の身の周りも振り返りたくなる。
「もし、本書を読んで凄腕収納アドバイザーの真穂に片付けを頼みたいと思った人は、人生の岐路に立っているのかもしれません。家のありさまはそこで暮らす人々の人生そのもの。ぜひ片付けを新たなステージへ一歩踏み出すきっかけにして欲しいですね」 (祥伝社 1870円)
▽桂望実(かつら・のぞみ)1965年東京都生まれ。大妻女子大学卒業。フリーライターを経て2003年「死日記」で作家デビュー。05年刊行の「県庁の星」は映画化されベストセラーに。「僕は金になる」「残された人が編む物語」「息をつめて」「この会社、後継者不在につき」「地獄の底で見たものは」など著書多数。