明豊初V王手! 智弁和歌山時代の恩師が語る川崎監督秘話
本塁打を打った打者に直後の2打席連続で犠打を命じて成功させるなど、落ち着いた采配ぶりを発揮。その原点にあるのが、智弁和歌山時代の「失敗」だろう。
■「決勝は無理ですよ」と言いながら…
「1997年夏の県大会決勝ですね。当時抑えをやっていた清水は遊撃が本職。九回に清水がマウンドに上がったので、まだ1年生だった川崎を遊撃守備に就けた。ところが緊張でガチガチ。ほぼ定位置の遊ゴロを2つとも反応できず、ピンチを招いてしまった。その経験もあってか、直後の甲子園ではのびのびプレーしていましたよ。センバツ中、川崎には『決勝まで行くのはいいけど優勝は早いぞ。ワシなんて何十年もやって、やっと優勝したんだから』なんて冗談を飛ばしたところ、向こうも『決勝は無理ですよ』なんて言いながら本当に決勝戦進出(笑い)。川崎は選手のことをよく見ているし、決勝だからといってバタバタする性格じゃない。期待していますよ」とは高嶋氏だ。