まだ元気で投げられるとアピールしたくて巨人とのオープン戦での登板を直訴
93年に思うような結果が残せなかった私は一念発起。翌94年は以前の投球を取り戻そうとキャンプから目の色を変え、最初のオープン戦で投げさせて欲しいと首脳陣に直訴した。
近鉄は毎年、日向キャンプを打ち上げ、最初のオープン戦を宮崎市内で巨人と行うことになっていた。巨人戦に投げれば注目されるし、まだ元気だというアピールにもなる。近鉄の首脳陣だけでなく、世間にもアピールしたかった。自分はまだ投げられるのに、チャンスが与えられないと思っていたからだ。
実際、巨人相手に投げて、手応えがあったにもかかわらず、しかし、公式戦登板は6試合だけ。夏場に投げたきり、一軍での登板機会はなかった。
シーズン終了後のある日のこと。藤井寺球場内の球団関係者だけが通れる通路に、秋季キャンプのメンバーが張り出された。
■自分の名前が見つからない
シーズン中、活躍した主力はキャンプへの参加を免除される。故障者も行かない。近鉄はこの年、首位西武から7.5ゲームも離された3位だったから、主力と故障者を除いた選手たちが宮崎に鍛え直しに行くことになった。シーズン中に結果が出なかった私も当然、メンバーに入ると思っていたのに、何度見ても自分の名前は見つからなかった。