球団社長からの電話で巨人・香田との交換トレードを通告された
その夜、私は同僚の高柳出己と2人、日向市内に食事に出掛けた。翌日、大阪に戻ることが急きょ決まったため、行きつけの店に挨拶もしたかったからだ。
わずか6試合の登板に終わった1994年のシーズン終了後のこと。
当初、秋季キャンプのメンバーから外れ、前田球団社長に戦力として必要ないのであれば移籍も覚悟していると胸の内を吐露。その後、新任の米田哲也投手コーチに「自分が見たいから宮崎に行こう」と促され、キャンプに参加することに。フルメニューをこなして精力的に練習に取り組んだものの、スタートから約1週間後、マネジャーから大阪に戻るように言われた。理由を告げられることもなかった。
入ったのはお好み焼き屋。L字形のカウンターに6、7人も入れば満席になる首脳陣も選手も行きつけの店だ。ビールにお好み焼きを頼んでいると、そこに鈴木啓示監督がスタッフと2人で入ってきた。
「明日、大阪に帰りますから」
「そうか、ご苦労さん」
簡単な挨拶をして食事に。長居をする雰囲気でもないため、支払いを済ませてさっさと店を出ようとしたら、