巨人がドジャースなら阪神はジャイアンツ…虎の指揮官となった村山実氏が私に見せた猛烈対抗心
日本のプロ野球は1960年代に黄金時代を迎えた。職業野球から近代野球の扉を開けた長嶋茂雄が引っ張る巨人のV9が象徴だった。その巨人の連覇を支えたのが「ドジャース戦法」であることは広く知られている。
一方、ライバルの阪神は、巨人に激しく戦いを挑んだ村山実が70年に投手兼任監督に就いた。この年は村山の他、南海の野村克也、西鉄の稲尾和久が監督に就任。「青年監督トリオ」が生まれた年でもあった。
監督村山は「今度は監督として巨人をやっつける」と意気込んだ。
私は東京から大阪に転勤して阪神担当になり、高知県安芸市の春季キャンプを取材した。練習が終わると毎日のように宿舎に行った。
そんなとき、村山から「私の部屋に来なさい」と声がかかった。
和室のこたつで向かい合って座ると、村山が書類を手に、「これは野球教書なんだ」と言い、こう付け加えた。
「サンフランシスコ・ジャイアンツのもので、これを参考に練習をしている」