拳闘家の悩みや迷い、失いかけた情熱
「オリ・マキの人生で最も幸せな日」
昔はボクサーのことを日本語で「拳闘家」なんて言ったものである。いいですねえ。
腕自慢だがごく普通の若者が、勝ったり負けたり、笑ったり泣いたりしながら、ボクシングという孤独なスポーツを生きていた時代の響きが「拳闘家」にはある。年明け1月17日から都内で公開予定の「オリ・マキの人生で最も幸せな日」は、そういう意味で当節珍しい“拳闘映画”だ。
オリ・マキというのは1960年前後にライト級の欧州チャンピオンにもなったフィンランドの実在のボクサー。62年に王座をかけて世界戦に挑むチャンスを手にしたが、プロモーターの意向で無理にライト級からフェザー級に階級を下げ、減量に苦しむことになった。
映画はこの模様を描くが、練習や試合をひたすら見せるより、その合間の悩みや迷い、戦いの情熱を失いかけたり、大試合で急にヒーロー扱いされることへの戸惑いのほうに目を向ける。
つまりいわゆるボクシング映画じゃないということだが、ならばボクシングファンには物足りないかといえば違う。ロードワークなくしてチャンピオンなし。禁欲と自己管理を当然とする世界を少しでも自分で垣間見た者ならわかる、なんともいえず人間的な物語なのだ。
主役のヤルコ・ラハティもいいが、恋人ライヤ役のオーナ・アイロラがいい。惚れますよ、ほんと。
ボクシングを妙に壮絶に、英雄的に描くノンフィクション類はたくさんあるが、「拳闘」の境地をとらえるのは難しい。米女性作家ジョイス・キャロル・オーツは珍しい例外だが、日本ではやはり角田光代だろう。「拳の先」(文藝春秋 1140円)は新聞連載された著者2作目の拳闘小説。普通の人生と、リングの上の戦いの孤独をひとつの文体で書きつなぐ技がいい。
<生井英考>