クリスタルキング メンバー脱退騒動と商標権訴訟
そして、89年にさらなる悲劇が襲う。趣味の草野球でサードの守備中、イレギュラーした打球が喉を直撃、自慢のハイトーンが出なくなってしまったのだ。医者に見せても異常は見られず、原因は不明。一時は自殺まで考えるほどだった。
ハイトーンからハスキーボイスシンガーへと変身した田中は95年にクリスタルキングに再加入する。しかし、97年末に3人のメンバーとともに再び脱退。一時、和解していた吉崎との関係も徐々に悪化していった。
98年、田中はポッカコーヒー「クリスタルブラック」のCMでずっこけながら「大都会」の冒頭部分を歌い、再び注目を集める。そんな“クリスタル”をネタにした再ブレークがグループを再脱退した後という皮肉な状況下だった。
一方、グループに残った吉崎は「40歳を越えてから声域が広がって高い声が出せるようになった」と、「愛をとりもどせ!!」など過去のヒット曲を単独でセルフカバーする活動を行った。
そんな中、田中がテレビで「クリスタルキングはもう残念ながら解散したんですが」と発言したり、新聞広告などで「大都会 田中雅之(クリスタルキング)」と表記したことに対し、吉崎は09年3月、商標権侵害の訴訟を起こす。10年3月26日に下された判決では「解散発言」については時効が成立しており、さらに田中が経歴を説明する際に「クリスタルキング」と表示することに問題はないと、吉崎の訴えを棄却した。