もっとも脂が乗っていたのは、「仁義なき戦い」から「脱獄広島殺人囚」(74年)、「暴動島根刑務所」(75年)、「強盗放火殺人囚」(同)などを経て、「北陸代理戦争」(77年)へと至るヤクザ映画の時代だろう。研ぎ澄まされた風貌と、ふくよかで包み込むような声質のいいセリフ回しが、荒々しさと優しさ双方の持ち味を引き出し魅力的だった。
時代劇からヤクザ映画への道を駆け抜けた東映の歴史そのものを歩んだ人だと思う。映画会社の“路線”とともに懸命に生き続けた映画スターとして、彼の業績は末永く語り継がれることだろう。