アジャ・コングはブル中野と“ビール50本”が今もトラウマ
そのうち私ひとりでも店に通い出し、東京にいるときは、ほぼ毎晩。地方で試合をして深夜に帰宅しても「よし、行くぞ!」って、目黒の自宅からタクシーをすっ飛ばして通ったものです。
ある時には、常連さんたちから「マンションを解約して、荷物を店に置いとけばいいじゃん。お風呂はサウナで十分」って冷やかされる始末。そんな生活が再開発で閉店するまで5~6年続いたかな。酒も強くもなりますよね。
■ブル中野とビール大瓶を2ケース半を空けてトラウマに
ただ、「この人には絶対かなわない!」と思ったのは、先輩のブル(中野)さんです。これも20代の話。翌日の仕事が当時、原宿にあった全女のアンテナショップでのイベント出演だけという夜に、目黒の居酒屋で2人で飲んだんです。
気がついたら、ビール大瓶を2ケース半、計50本空けてました。フラフラになって帰宅したものの、さすがに翌朝の二日酔いの酷いことといったらない(笑い)。
本来ならば、私が先輩のブルさんのご自宅にお迎えに行かなければならないところを、迎えに来てもらい、私はといえば現場に到着しても頭はガンガン、気分は最悪でまったく動けない。するとブルさんは「大丈夫、大丈夫、私、やっとくから」って、嫌な顔ひとつせずいつものように最後までイベントを盛り上げて終了させたんです。