若き日は俳優志望 いっこく堂さん語る“腹話術師への転機”
それで原点に返り、もう一度俳優になろうと思い、最初に無名塾を受験。神保悟志さんらとともに最終面接まで残ったものの、残念ながら落ちてしまいました。次に「入団に際してお金がかからない」という単純な理由で、故・宇野重吉さん率いる劇団民藝を受けたところ、約30倍の倍率をくぐり抜け、晴れて入団できたのです。
ところが、芝居は好きですから不満はなかったものの、若手の仕事である大道具・小道具が大の苦手。「このままじゃ……」と考え始めていた矢先でした。
長野県松本市で公演があり、その晩は親睦と慰労会を兼ねて宿泊先の旅館で、米倉さん主催の余興大会をやったんです。他の劇団員がコントを演じる中、昔取ったきねづかのモノマネを披露したところ大受け。米倉さんから、賞金とともに先ほどの言葉もいただいたのです。
これで、俄然ピン芸に目を向けるようになり、新聞記事をベースに、あえて沖縄言葉で話す漫談をつくって米倉さんのもとへ日参。批評していただいて、しゃべりの技術を磨きました。
かといって、モノマネで食えるとは思わなかったですね。以前失敗してるので、同じ轍は踏めません。そんな時に、ふと脳裏に浮かんだのが中学2年の時に、テレビで見た婦人警官演じる交通腹話術でした。誰もが知ってはいるけれど、全然メジャーではない。ライバルが少なければ、一番になりやすい……。