悩む日々が楽に…桑野信義を救った志村けんの笑顔と一言
ミュージシャンで“くわまん”のニックネームでも親しまれるタレントの桑野信義さん(61)。コメディアンになりたての頃は悩む日々を送った。
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「100%、力を出そうと思わなくていいよ。80%でいいの。残りの20%は万が一の不測の事態に備えて、とっておくんだよ」
1989年の夏、下北沢の本多劇場の楽屋で「志村けんと田代まさしのだいじょうぶだぁファミリー」というコントをメインにした舞台をやってた時のことです。その頃、バラエティーに行き詰まりを感じて、志村さんに「オレ、自信ないんですよ」って話したら、笑顔でこう答えてくれたんです。
「え? 130%出すつもりで頑張って、本番の時に100%出せればいいんじゃないんですか」と思わず問い返すと、「それじゃ、余裕がないでしょ。肩の力は抜いた方がいい」。その瞬間、随分気が楽になりました。「もうバラエティーから足を洗おうかな」って思ってたくらい悩んでいましたから。
もともとトランペッターで、幼稚園から中学まで1つ先輩だった鈴木(雅之)さんに誘われてバンド「シャネルズ」に入り、デビューしたのが80年。83年に「ラッツ&スター」に改名後も「め組のひと」などのヒット曲に恵まれました。一方、コンサートではコント的要素を加味した構成が評判で、ドリフターズの「8時だョ!全員集合」にもよく出させてもらってたんです。そんな折、86年に「いったん活動を休止して、それぞれが得意とする分野、好きなジャンルの仕事をして、タイミングが合えば一緒に音楽活動をしよう」ということになり、鈴木さんはソロ、バス(ボーカル)担当だった佐藤善雄さんは音楽プロデューサー、僕はバラエティーとメンバーは新たな道を歩み始めました。