徹夜の撮影続き…学校の授業はおろか満足に眠る余裕もなく
大西結花編 <4>
果てしなく繰り返されるテストのたびに、同年代の出演者と顔を見合わせていた。多感な中学生たちの青春群像劇、映画「台風クラブ」(1985年公開)の夜のプールのシーンのロケ。テストとはカメラテストのことで、カメラは回ってはいない。鬼監督と言われた相米慎二監督がずっと黙ったままだから、私たちはどこをどう変えればいいのか、どう演じていいのかも分からない。
「自分たちで考えて、動きを変えてごらん」
助監督のアドバイスで輪になって話し合い、動きを変えてみる。それでも、監督は何も言わない。そうこうしているうちに夜が明ける。次の日の集合は時間が大幅に早められ、昼になった。それでもまた夜が明けて、また徹夜。それで、次の集合時間は午前中と告げられた。
そうやってはじめても、また夜が明けた。当時私は高校1年だったが、授業はおろか、満足に眠る余裕もない。
土日も仕事。映画公開と同じ年に「アラベスク・ロマネスク」で歌手デビューさせてもらってからは、土日こそ仕事であった。早朝にマネジャーが迎えに来て、コンビニで買った朝食を車の中で食べて現場入り。そしてデパートの屋上などでのイベントや握手会を回っていく。いわゆるキャンペーンだ。これは私だけじゃなく、当時の芸能界では当たり前だったと思っている。仕事のあるうちが花とばかり、子どもも大人も本当によく働いていた。