伊東四朗は顔が覚えられるぐらいストリップ小屋に通ってた
新宿フランス座でも多くの芸人を見届けてきた松倉さん。
「浅草は、街全体が学校みたいなもの。そこにいる先輩に所作を学び、お金がなくても周囲の踊り子や食堂の人たちが食わしてくれた。当時の東京の芸人はハングリー精神を持っていたと思うよ。近年は、お笑いスクール出身の芸人が主流になっている。それはそれでいいシステムだろうね。僕は東京の芸人を育てた覚えがない。彼らは育つ前に自分で売り込んで有名になって勝手に巣立ってしまう。人気が出ると、引き留めたくても難しかった」
松倉さんにとって印象に残った芸人は、たけしや欽ちゃんらの師匠だった。
▽まつくら・ひさゆき 1935年、長野県生まれ。中央大学卒業。68年、東洋興業社長に就任。「浅草演芸ホール・東洋館(旧『浅草フランス座』)」を率いる。2018年、「江戸まち たいとう芸楽祭」実行委員会顧問に。新著に「起きたことは笑うしかない!」(朝日新書)がある。