渥美清<後編>療養所生活でも毎日患者を集めて笑わせていた
映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんとして国民的俳優になった渥美清も、もともとは浅草フランス座のコメディー俳優だった。芸達者で評価は高く、2代目座長も務めている。アメ横で身につけた流暢なテキ屋の語り口調とやくざの口上を得意としたが、欠点は気の短さ。客にも食ってかかったりした。それが病気で一変する。
フランス座に移籍した1年後の1954年に肺結核を患い、3年ほど療養生活に入った。浅草で人気絶頂期だったから、悔しい思いをしただろうが、この経験で「人が変わった」と松倉さん。
「帰ってきたら、円く温和になっていて、みんな驚いたものです。当時は肺結核で命を落とす患者が大勢いたから、『あすの命のない人たちの集まりだからね。毎日、1人、2人と減っていくんだよ……。俺はこうやって戻ってこられたけどね』と、しみじみ話していました」
いつ絶えるか知れない状況にあっても、渥美は毎日患者を集めて笑わせていたという。同じ療養所に入院していた患者さんが、のちに松倉さんのもとを訪れている。
「渥美は『みんな集まったかい? 俺が浅草の話をしてやるから』って声をかけてたんだって。自分も片肺取った患者だからすごいことだよ。元患者さんが、『あのとき笑っていられたから、おかげさまで私も退院できたんです』とおっしゃってたのを覚えています。入院前はやくざっぽい口調で荒れに荒れてたけど、退院後は優しくなったね。どんなときでも喜劇人であることを忘れずに、患者さんを笑わせてきた。そこからさらに芸が伸びたんだ」