渥美清<前編>“飴屋横丁”で働き身につけた寅さんの売り口上
浅草は映画の街だった。フランス座があった台東区浅草公園六区は映画館が並ぶ歓楽街で、毎週火曜日、新作映画の封切りがあった。
「それを全国の興行師さんが見にきて、上映するかどうかのバロメーターにするわけです。日活の堀久作さんや大映の永田雅一さん、東映の大川博さんといった各映画会社の社長たちが小屋の前に立ってね。どこの劇場に人が入るか、チェックしていたのを覚えています」
当時人気だった石原裕次郎の作品や、米国から直輸入の洋画も公開していた。東洋興業の社員や所属コメディアンは入館パスを持っていたので、空き時間には見にいっていたという。
「おかげで将来は自分も映画や舞台に出たいっていうコメディアン志望も、ウチに来るわけですよ」
映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんとして国民的俳優になった渥美清も、浅草で芸を磨き、巣立ったひとりである。
「もとはウチのコメディー俳優で、そのときから大人気でした。コメディアンをやりながら、中央から注目されるようになったんです。マスコミにウワサが広がって、映画デビューまでしたわけです」