村下孝蔵さん「このまま広島に帰るわけには」と酒をあおり
どんどん時間が押していき、村下さんの持ち時間がなくなってしまった。現場の仕切り屋から「彼の出番はありません」と言われて「はい、そうですか」と引き下がるわけにもいかない。とはいえ「時間が取れない」という現実にあらがうこともできず……村下さんの落胆は大きかった。その日の夜、2人で居酒屋の片隅で痛恨の酒を何杯もあおった。彼はガックリ肩を落としながらこう言った。
「広島の音楽仲間から盛大な激励会を開いてもらった。このまま東京で何もしないで帰るわけにはいかない」
新宿ロフトのブッキング担当に「村下さんのライブを突っ込んでくれ」と連絡し、何とかステージに立ってもらったものの、ささやかな東京デビューとなってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
彼は83年にリリースした5枚目のシングル「初恋」、同年8月の6枚目のシングル「踊り子」で大ヒットを飛ばし、一躍フォーク界の寵児となった。彼の透き通った歌声がヒットチャートを駆け上がりながら、全国津々浦々で聞こえてくる。もううれしくてうれしくてひとりで何度もバンザイしたことを覚えている。
もしかなうことなら、もう一度、村下さんと酒を酌み交わしながら渋谷での不手際を謝り、そして「歌謡曲、ロック全盛の時代にフォークのスピリッツを貫き通した。渋谷での屈辱をバネによく頑張った」と声をかけたい。