田中美奈子さんがスナップ写真と共に語る超多忙時代「1週間の睡眠時間が10時間あるか…」

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 情報番組やバラエティーでおなじみの女優、田中美奈子さんは1990年前後にミニスカート姿で歌う「学園祭の女王」と呼ばれて人気を博した。秘蔵の一枚はあまり残っていないという当時の仕事場でのスナップ写真。やりたかった歌手と、憧れたモデル……。芸能界でも有名だった忙しすぎた当時を振り返る。

 麦わら帽子を膝に置いているのは89年のデビュー曲「涙の太陽」のジャケットを撮影した時のスナップ写真です。場所は都内の公園ですけど、場所は覚えてません。あまりに昔のことなので(笑い)。

 もともとは歌手になりたくて、「レナウンガールは歌が歌えるから」とオーディションを受けたんです。モデルですから167センチはないといけないけど、私たちの代(87年)はタレント性を重視してくれて合格しました。

 小林亜星さん作詞・曲の「レ~ナウン、レナウン娘が~」という有名な曲でデビューはしていました。その後に事務所を移ってのソロデビューだったのでアイドルとしては21歳と遅め。リバイバル曲の「涙の太陽」(安西マリア)はレコード会社のディレクターさんが私を夏のイメージと決めてくれたのですが、フタを開けてみると事務所の社長の元の奥さんの曲だったと(笑い)。知らずにディレクターさんが選んだらしいんです。

ヘリでの移動に「私は今どこに?」

 デビュー後は忙しすぎました。怒濤のスケジュール! 歌番組やドラマを掛け持ちし、新曲を出せばプロモーションで各地に行き、学園祭シーズンは全国の大学や高校を回って。うちの社長がスケジュール帳を黒くするのが趣味で、虫メガネで見ないと読めないくらいたくさん書いていました。ダブルブッキングも当たり前でしたから。

 例えばフジサンケイクラシックゴルフの大会で川奈のゴルフ場で優勝者に花束を渡す仕事ではドラマ撮影の合間にヘリコプターで飛び、テレビカメラの前で花束を渡したらヘリでトンボ返りしてまた撮影。「私は今どこにいるんだろう?」とわからない毎日でした。

 CMは7、8本やらせていただいて、当時はバブルだったから他の女の子のタレントは海外ロケに行けて羨ましかったけど、私は時間がないから全部スタジオ。

 1週間の睡眠は10時間あるかないか。家にはシャワーを浴びるためだけに帰るくらいで、移動中の車で寝るか、レコーディングの時、私の歌入れの後に廊下のソファで横になるとか。

 当時は1日5食くらい大盛りも食べていました。なのに、カロリーの消費がすご過ぎて痩せちゃって、点滴打ちながら働いてました。体重が40キロを切った時にお医者さんから「栄養失調です」と言われましたから。「5食食べてるのに、ウソでしょ?」と唖然(笑い)。

 私のハードスケジュールは有名だったみたいで、同年代や先輩のタレントたちに心配されていました。ジャニーズの先輩にも「こんなスケジュール見たことないよ」とねぎらいの言葉をいただくくらい。

 事務所の後輩のかとうれいこちゃんが忙しくなって、「こんなスケジュールじゃやってられません」と社長に言ったら、「美奈子ちゃんから話を聞いてごらん」と言われたらしく、私の控室まで相談に来たこともありました。私は言いましたよ。

「今が頑張り時だよ。ここで頑張っておけばこの先も残れる。私も頑張れてるんだから、れいこちゃんもできるよ!」と激励。「わかりました!」と帰っていきました(笑い)。

W・ヒューストンみたいになりたいと…

 もう1枚の写真はソロデビューから2、3年たった時の何かの取材のスナップ。その数年前、イエイエガールでファッションショーに出られた時、プロのモデルさんたちがカッコよくて、歌手とは別にモデルにも憧れを抱いていました。そしてこの写真を撮影した頃、再びファッションショーでランウエーを歩かせていただく機会があったんです。「私、これからはファッションモデルだけをやっていきたい!」と思うほど感動して、鳥肌ものでした!

 当時はリンダ・エヴァンジェリスタやナオミ・キャンベル、クラウディア・シファーなどスーパーモデルが日本でもブームで、私は写真集を買いあさるほど憧れていましたから。映画「ボディガード」に出ていたモデルで歌手のホイットニー・ヒューストンみたいになりたいとも思いました。

 でも160センチの私ではとても無理ですから「来世はモデルになる」と思っていました。かなわない夢を抱いていた頃の写真だから、ちょっと外国のモデル風のピッタリしたタイトの衣装で撮らせていただきました。

 忙しかったから写真をほとんど保存してなくて、もっとたくさん撮っておけばよかったなと思います。これから先の人生は思うように生きて、充実させたいですね。社会貢献ができる活動も続けたいと思っています。

(聞き手=松野大介)

▽田中美奈子(たなか・みなこ)1967年9月千葉県出身。「87イエイエガールズ」を経て89年に歌手ソロデビューして大ブレーク。夫は俳優の岡田太郎。

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