故・藤子不二雄Ⓐさんが生前解決しきれなかった「消えたオバQ」問題
相棒の藤子・F・不二雄さん(享年62=本名・藤本弘)の死去から25年半。日本を代表する漫画家の藤子不二雄Ⓐさん(88=本名・安孫子素雄)の訃報に追悼の声が相次いでいる。
小学校で出会ったFさんと共に1954年、故郷の富山県から上京。伝説のアパート「トキワ荘」の住人となり、「藤子不二雄」の共同ペンネームを使って二人三脚で創作活動に没頭した。64年に連載を始めた「オバケのQ太郎」が大ヒットし、人気漫画家の仲間入り。その後もⒶさんの描いた「忍者ハットリくん」「怪物くん」はアニメや実写化され、不動の地位を築いていった。
「ドラえもん」「パーマン」など主に児童漫画を描いたFさんに対し、Ⓐさんは「魔太郎がくる!!」「笑ゥせぇるすまん」といった人間の欲望や心の闇をテーマにしたブラックユーモアものを得意とした。
ちばてつや氏が「恐らく日本初のゴルフ漫画」と言う「プロゴルファー猿」や、トキワ壮の仲間と過ごした青春時代を振り返る自伝漫画「まんが道」など、あまたある名作の多くは今も単行本や文庫が販売中で、電子コミックでも読める。