「後ろめたさ」こそが文学 鬼才・林真理子の真骨頂とは
読者なら誰でも、林に他人の出自や経歴への旺盛な興味を失う気配がないのを知っている。名門や名家に対してはめっぽう寛容なことも。散財と節約、暴飲暴食とダイエット、暴挙と忘却、良心と悪意の間をゆれ動きつづける彼女は、一方でそんな自分を驚くべき冷徹さで俯瞰する超優秀なウォッチャーでもある。そして何より働き者(いわく「死ぬほど働かなくては」)。
最近おぼえた表現を使うなら「緻密などんぶり勘定」の鬼才なのだ。自伝的性格も濃い『成熟スイッチ』でも、ともすれば自画自賛だらけになりかねない成功譚に、自虐をひと刷毛入れる間合いが絶妙。美文の類ではないが、平易な日本語表現としてはこれが黄金比かもと思わせる語り口の巧みさは、小説同様にここでも健在だ。
ある種のトリップ状態で最後のページまで一気に辿り着けるだけに、陶酔から醒めたあとの反動も大きい。こんな下世話なハナシにひとりでつき合ってしまった、という恥ずかしさと虚脱感は、セックスではなくマスターベーションのそれに近い。ゆえにロマンスにも武勇伝にもならず、他者には秘すべき体験となる。そういう「後ろめたさ」こそが文学、とも思うけれど。